伊豆市(旧天城湯ヶ島町)と河津町とをつなぐトンネル。国内で最長・最古の石造道路隧道として、初めて平成13年に国の重要文化財に指定されました。トンネルは、「切り石巻工法」という手法で造られており、石は旧大仁町の吉田石が使用されています。
標高1,125mにある天城火山群の火山湖で、池の周囲が八丁(約560m)あるので「八丁池」といいます。池にある展望台からは、遠く富士山の頭を見ることができます。
ハイキングコースや、昭和5年6月に昭和天皇が歩かれた「御幸歩道」などもあります。
宗太郎杉並木は、明治10年に植えられた樹齢130年を超える「宗太郎人工杉学術参考保護林」で、「宗太郎」とは昔この地を開発した人の名です。近くの宗太郎園地にはハイカーのための休憩舎があります。杉の美林がうっそうと立ち並ぶ林道です。
旧道沿いの寒天橋のすぐ下にあり、二段になって落ちる高さ20mの滝。本谷川(河津川)の源流初めての滝で、まわりは木々が多く茂っています。紅葉や新緑の時期など景観の美しい天城の名瀑の1つです。
踊子歩道の途中、二階滝と釜滝の間にある滝。わさび田を抜けて少し歩いたところにあります。大きな一枚岩に巾20m、高さ4mあります。
河津七滝は、その名の通り7つの滝があります。遊歩道を約1時間かけて7つの滝を見ることができます。秋には、「天城路もみじまつり」が開催されます。河津七滝観光協会では、各加盟店にて無料で車椅子の貸出をしております。初景滝へ車椅子で行く事が出来ます。
国道414号、七滝・大滝温泉への入口にある巨大な二重ループ橋です。道の高低差を二重の螺旋で継いだ高架橋で、地震による土砂崩れの教訓を生かして採用された工法によって造られたものです。直径80m、高さ45m、全長1064mで、昭和56年に開通しました。制限時速は30kmです。
伊豆には西国33ヶ所を模した33観音めぐりがたくさんあります。その1つでここ河津町梨本の山中に、昔経ノ山と呼ばれていた観音山(653m)の山腹にも、江戸中期に造られた33観音が人知れずたたずんでいます。「観音山コース」としてハイキングコースにもなっています。
わさび田は清浄な湧き水のある場所につくられます。天城の自然の恵みを受けた河津ではわさび田が多く、河津を代表する風景の1つにもなっています。わさびの花は白くて小さい清楚な花で、3月には田一面に咲きます。
創立は江戸時代初期で三養院の控寺として建てられたものと推定されています。堂内には本尊釈迦如来涅槃像があり、桧の一本造りで漆箔が施されています。他には阿弥陀三尊、背属像24体があります。拝観には管理人への予約が必要ですが、建物外についているスイッチを押すと電気がつくので、中の様子を見ることができます。
杉桙別命は、木の神・火の神で、信者が「鳥精進・酒精進」を怠ると火事になると云われています。言い伝えでは、杉桙別命はたいそうなお酒好きで、居眠り中に火事が起きた際、たくさんの小鳥たちがいっせいに時雨のようなしずくを降らし火を消してくれたことから、これに懲りお酒を飲まなくなったとか。今でも地元で続けられている風習です。
大祭:毎年10月の第3土日
ソテツはスギやマツと同じ裸子植物の仲間で、鉄分を与えると元気がでるということで、「蘇鉄」と書くようになったと言われています。新町の大ソテツは、根のほうが直径約2.5mで、そこから上空や横に向かって何本もの幹が出て高い所では10mにもなっています。推定樹齢800年以上のものといわれ、1936年に天然記念物に指定されました。
フランス・パリのブローニュの森にあるバガテル公園の姉妹園。日本では珍しい品種を含む1,100種6,000本のバラが春と秋に見頃を迎えます。園内にはバラの香りをベースにしたオリジナルのフレグランスを作る体験工房などがあります。ガーデニングショップではバラ苗や生活雑貨も多数あります。
本尊仏薬師如来をはじめ、11体が県指定文化財であり、その他13体が町指定文化財となっています。平安時代に造られた仏像群をまつってある現在の南禅寺、又これらの仏像群が当初まつってあり奈良時代に創建と伝えられる那蘭陀寺については文献が乏しく不明点が多いですが、付近の土地名に堂山、地獄谷、仏谷、大門、弥勒等の地名が残されており、地形的にも裏の堂山は往時大崩壊があったことが指摘されています。
海抜40mの海岸段丘にあり大正14年(1924)見高小学校(現在は東小)建設敷地整備中に発見されました。縄文時代中期(約5千年前)の遺跡で、ムラの跡が発掘された他、大量の神津島産黒曜石が発見されました。現在は小学校校庭の片隅に復元家屋が1棟造られ、校舎内に特別資料室があって出土品の多くを展示しています。※見学には学校の許可が必要
733年(天平5)創建の古社。毎年10月23日に大祭が行われ、三番叟が奉納される。見高村出身の歌舞伎役者・四代目市川小団次が、1850年(嘉永3)に村の青年に歌舞伎を教えたといわれる伝統のある行事。奉納される神楽殿には回り舞台があり、江戸歌舞伎に使われた引幕が残されている。
旧街道沿いにそっと建っている地蔵さんとお堂跡。創立は天正19年(1591)で途中2回眞乗寺に合併されました。この本堂で「明治の三舟」山岡鉄舟、高橋泥舟、勝海舟が日本の将来を熱っぽく語ったという伝説があり、町内には泥舟、鉄舟の書が散見されました。